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練炭自殺について

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前書き

練炭自殺と言えばいまやネット上でもっともポピュラーな自殺方法になってしまいました。一般的にはネット上で仲間を募集し、複数の人間で実行すると言う自殺方法です。海外ではあまり見かけない自殺方法らしく、一時期海外サイトで話題になっていたようです。(当サイトへのリファラーが海外サイトからあったので見てみたら練炭自殺を話題にしてました。)それについて、最近いろいろと思うことがあったのでここに記します。

リスクの大きい練炭自殺

いろいろな自殺サイトを廻って練炭自殺を希望している方々の書き込みを見かけるのですが、数ある自殺方法の中でもあまり効率が良いとは思えないな、と言うのが僕の率直な感想です。練炭自殺の段取りとしては大体以下の手順になっていると思います。

  1. 自殺サイト等で練炭自殺希望者を募る
  2. メール等でやり取りした後、実際に会う
  3. 必要な道具を揃える
  4. 決行する

このうち、リスクがあるのが2.と4.です。まず、「2.メール等でやり取りした後、実際に会う」ですが、はじめにでも書いている通り、今まで知らなかった赤の他人と会うのですから、その素性は全く分かりません。その結果、悪質な連中と会うこととなってしまい、お金を脅し取られた、暴力をふるわれた、もっと酷いとレイプされた、監禁された、等の書き込みを見かけたりします。

「4.決行する」のリスクとしては、失敗した場合です。七輪が倒れて火事となり、全身大火傷で痛みに苦しみながら生きながらえるとか、一酸化炭素中毒の後遺症にずっと苦しむなどがあるようです。

死に至らず生き残った場合、酸欠のため脳組織に永久損傷を受け、重度の後遺症(精神障害、植物人間等)が残る場合がある。また、意識が戻りその時はまったく症状が見られなくても、事故から数日あるい数週間後に、記憶障害や人格変化など様々な神経症状が現れることがある。

あと、そもそも狭い空間で練炭を焚く訳ですから、熱い中で死にいくこととなります。睡眠薬等で眠ったとしても、多分何度も熱さで目が覚めて、熱さの中に逝くことになるのではないでしょうか(これは私の推測。夏の直射日光下で寝た時の感じを元に書いてます)。

また、自分だけはずっと眠ったままだとしても同じ自殺仲間が目を覚まし、あまりの苦しさに換気をしてしまう可能性もあります。その際、何人かが死んで何人かが生き残った場合、生き残った人は自殺幇助、最悪嘱託殺人に問われる可能性があります。とても楽に死ねるとは思えないし、また失敗した時のリスクも高いと言うのが僕の結論です。

練炭自殺と言う幻想

練炭自殺の募集は、ニュースで取り上げられたりするとネット上でも増える傾向にあります。いわば流行みたいなものです。せっかくの自殺と言う人生最大で1回しかないイベントをそんな流行に乗るような形で使ってしまって良いものかと思ったりもします。

また、死ぬ前には赤の他人に会うリスク、死にきれなければ大火傷や一酸化炭素中毒で苦痛と体が不自由になる。実は練炭自殺は死にたい人が最後に行う自己表現(最後に「自殺」と言うことに価値を見出す者同士が集まって話し合う)ができる、と言う以外はメリットが無いのでは?それだったら練炭自殺をテーマで集まる必要は無く、例えば「自殺するかも知れない人のオフ」とかで集まれば良いと思ったりもします。

ここからは僕の個人的意見ですが、誰かといっしょに自殺する、しかも相手は最近会ったばかりの他人、と言うのが理解できません。人間と言うのは生まれる時も死ぬ時も独りなんです。他の自殺志願者と同時に死んだとしても結局は独りなんです。

自殺サイト巡りのススメ

自殺を考える原因としては、

  1. 現在に希望が見いだない
  2. かつ将来についても希望が見えない

と言う状況があると思います。自殺志願者は将来もずっと自分の未来は暗いと思っているようですが、実際に自殺サイトに出入りしている人たちの多くは半年から3年くらいで入れ替わっているようです。出て行った人はどこに行ったかと言うと、勿論実際に自殺を実行した人たちもいるでしょうが、残りは程度の差はあれ、本気で自殺したい、と言う思いからは距離を置くことが出来ているようです。時間が過ぎれば環境も変わる、自殺サイト界隈に出入りし始めたのならとりあえず3年くらいはゆっくりと自殺サイト巡りを楽しんで様子を見てかとはどうかと思います。自殺サイトにはあなたに合った良質なコンテンツが一杯です。それでまたあなたがサイト開設して良質なコンテンツをネットに上げてくれれば僕も大喜びです。

4年以上自殺サイト界隈を廻ってて思ったのは、実は自殺志願者の方がまともな感覚を持っている人間では無いかと言う事です。ネット上の自殺志願者の書き込みを見て廻っていると、皆真摯に孤独とか、死などと向き合っている。そこには人間として、絶対に逃れられない矛盾とか思いに対して気がついて、それらの中でもがいている。映画やTVドラマのように誰もBGMでムードを盛り上げてセンチメンタルにしてくれないし、自分を美化してくれるナレーションも入らない。だけどそれは、人間が昔からずっと悩んできた問題なんです。自分は何故存在しているのか?

逆に社会に順応している人間の方がそういう大事なことにあえて目を向けず、誤魔化して生きてきているような、そんな気が最近してます。

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2006-09-04 公開;2006-09-26 更新